パーカーの絶頂期
パーカーの絶頂期とはいつごろでしょう。
パーカーの何をもって絶頂期とするのか、その判断が大きな壁となって立ちはだかってくるのです。
・汲めども尽きぬ泉のような、豊かで変幻自在なメロディー ・聴衆を興奮のるつぼにおとしいれるなまなましいスリル ・天井を突き抜けるような音色 ・しなやかで弾力のある力強いサックスの切れ味 まあ外見的な良さだけでもこの位は挙げられるでしょう。だいたいは衆目の一致するところだとおもうのですが。試しにこれら要素ごとにそのピークを追ってみましょうか。
まずはスピードですが、年代を追っていっても、その時その時の瞬間最大風速は露骨にはおとろえないような気がします。’47年にSAVOYで「Bird Gets The Worm」を吹いていたあたりが一番速いような気もしますが、’52年あたりもロックランドパレスなどで超アップテンポのサックスを存分に味わえます。また’54年の最晩年になっても、かなりあぶなかしい所はあるものの、「Cherokee」の演奏をだいたい昔と同じテンポに保って吹いています。パーカーは、枯れてしまったからといってテンポを落としてゆったりと吹くようになるミュージシャンではないようです。 メロディーとスリルは反比例しているような気がします。
メロディーについては、「汲めども尽きぬ」という言い方が一番ふさわしいのは’46、’47年くらいのような気がします。’48年あたりから様子がかわってくるのですが、その変化がよくわかるのが「The Complete Dean Benedetti Recordings Of Charlie Parker」です。このBOX物は’47年の西海岸に居た頃と、’48年にN.Y.へ戻った頃にソースが別れていますが、ライブ時の状況の違いはもちろんあるでしょうが、演奏に受ける印象がまるで違います。 しかしながら、’47年の音源に比べると、スリルといったものは確実に’48年からのほうが増しているようにおもいます。勝手に私がおもう理由の一つにはなんとなく、リズムセクションの発達があるような気がします。マックス・ローチなどの叩き出すリズムが、パーカーのする無茶の土台として耐えられるものになったのではないでしょうか。もうひとつはメロディーがパーカーフレーズとしてかたまってきたのが、かえってパーカーの飛翔の自由度をひろげたような気がします。フレージングよりも演奏の飛翔感に集中できるのか、特にリズム的に無茶をすることが多くなったような気がします。そのため、調子が悪ければパーカーフレーズの羅列の目立つものになってしまうものの(たとえば「語尾」が皆一緒になってしまう部分が増えてくる)、本当に調子の良いときはアナーキーなスリルに満ちた演奏をたのしめます。 そして、あとはサックスの音色と切れ味ですがこれは非常に判断が難しい。
というのも、録音によってまったくかわってしまうので、パーカーのサウンドのよしあしを公平に判断できないのです。パーカーの音源のなかには年代を問わず、たまに、説明が非常に難しいのですが、ざっくりとした切れ味と音色の分厚さを感じさせない、「ヘロヘロ」としたサウンドが聞こえてくる場合があるのです。良い環境で聴けば、本当はとてもすごいんだろうな、とわかってはいるんですが。
このように、各要素に分けていってみても、パーカーの総合的なピークを判断するのはとても難しいようにおもうのです。 だから私たちは、どんなパーカーでも追い求めていくのでしょう。 そして一方で、もっとも大切なことは、パーカーがパーカーミュージックを一生貫き通したことです。エネルギッシュで油の乗り切っているときも、ぼろぼろに朽ち果てていくときも、やっている音楽はまぎれもないチャーリー・パーカーミュージックでありました。 だから私たちは、どんなパーカーでも追い求めていくのでしょう。
1999. 3. 3 よういち
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