「チャーリー・パーカーの音楽」 市岡 仁 著(1990年3月1日 発行 \2000)
(この文章は 中原 氏の運営するサイト「Mercy FOR ALL COLORED MUSIC」のご厚意で転載させていただいております。) 音楽の素晴らしさは決して活字では表現できない。あくまでも優れた音楽を聞いて「おーっ!」と感動する事が一番重要な事だ。これが僕の持論なんだけど、中には例外もある。今回紹介する本もその一つだ。高名な日本のJAZZ評論家の多くが、日本のレコード会社のひも付きであるというのはもう周知の事だが、この市岡氏の本は、一切そのような音楽を食い物にする邪悪な世界とは無縁の、真の評論として極めて質の高い作品である。自ら、ALTO SAXを手にして、偉大なCHARLIE PARKER(以後ニックネームのBIRD)の軌跡をたどりながら書き上げられたと思われる採譜の数々には頭が下がる。市岡氏はプロのミュージッシャンではない。ただBIRDへの限りない愛情を底辺におきながら、技術と言う事実でBIRDの存在を捉えた類い希なる研究書である。 市岡氏曰く「研究をふまえぬところに評論は無く、研究に基づかぬ、業界のためにする論争や評論は虚軸上の現象で、有害無益でしかない。」とあるが、これはあらゆる音楽ファンとしても肝に銘ずべき名言で、ゴシップや伝説を好む多くの音楽ファンが、音楽の本質(コード進行や客観的な形、つまり楽譜で論議されるべき技術的な側面)に全く関係ない事、例えば「この曲の別テイクはエンディングが何秒長い」などと騒ぐ事の愚かさを鋭く指摘している。個人的にも音楽研究の素晴らしさは、聞いて感心したり感動した事の原因を究明する事にあり、これを怠れば、音楽鑑賞と言う極めて受動的な行為を、一段と高い、能動的な行為に高められないわけで、時間つぶしや現実逃避の手段におとしめる事になってしまうと考えているので、この著書を読む楽しは並みの言葉では語れないほど痛快だった。
9年前に自費出版されたこの一作を、なぜここに取り上げたのかと言うと、先日(1999年1月22日) 著者の市岡氏が亡くなられたからで、僕も一研究家として哀悼の意を表して僭越ながら紹介させていただいたと言うわけだ。この本を御求めになりたい方は生前市岡氏がよく立ち寄られた、渋谷のJAZZ喫茶、MARY JANEで問い合わせるか、渋谷のYAMAHAの書籍売り場で探してほしい。それにしてもこの様な立派な一作を連載していた「ジャズ批評」(52,53号)が連載を中止した理由がSONNY ROLLINSとRED GARLANDが、BIRDが参加しているSIR CHARLES THOMPSONのセッションから盗作したとの市岡氏の指摘に対して某大手レコード会社(BLUE NOTEやPRESTIGEを日本で配給していた所だろう)からの広告打ち切り通告に恐れおののいた編集者の圧力によるものであるとの事で、大手レコード会社にも、編集者に対しても、あきれて開いた口がふさがらない。最後に市岡氏の前書きからの一文を記しておく。「事実の前にひざまずけぬ物に批評の看板を掲げる資格はなく、パーカーを敬して遠ざけてはならない。ましてや往年の日本ジャズ喫茶における、ブルーノート・レコードのヒット作を聴きかじっただけでジャズを論ずるなど生意気の限りだ。なぜならばジャズとはデューク・エリントンやチャーリー・パーカーの如きを言い、エリントンもパーカーもブルーノートには一切レコーディングしていないからである。」
1999. 3. 3 (THE SIDEWINDER/中原 寧)
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