「Bird 2000」トークセッション第2回 瀬川
昌久 氏
~カーネギー・ホールで生のチャーリー・パーカーを聴いた想い出~
私がアメリカに参りました1953年の9月26日土曜日なんですけども、カーネギー・ホールでコンサートがありました。
カーネギー・ホールでのコンサート 私は数ヶ月前にアメリカに来まして、とにかく夢にまで見たアメリカのジャズが聴けるというんで、うれしくてうれしくてとにかく毎晩ラジオを聴いていたんですね。そしたら真夜中のラジオで「今度カーネギー・ホールでチャーリー・パーカーその他が出る」ということをアナウンスしたものですから、これはもう凄いと思って翌日カーネギー・ホールにとんでいったんですよ。
ところが9月26日土曜日にですね2回パフォーマンスがありまして、8時15分の回とそれから11時45分の回、アメリカは夜遅いですから2回ある。ところが8時15分というのはもう売り切れておりまして、それで11時45分しかないということだったんで、それでもいいからと・・・。当時はまだ学生みたいな身分でお金もないんで一番安い、確か2ドル50セントくらいだったと思いましたけれどもそれを買いまして、当日予約してカーネギー・ホールに行ったんですね。
天井桟敷の一番後ろだったんですが、まず驚いたのがカーネギー・ホールのある辺りというのは洒落たヨーロッパ風の喫茶店なんかがありまして、あまり黒人の人はこないんですけども、カーネギー・ホールで普段アンドレ・コステラネッツなんてやってるときは黒人の姿はみえませんけど、なんとこの日に限っては特に一番安い最上階の席はほとんど黒人だったんですね。で、びっくりしちゃいまして、やっぱりパーカー達は黒人の人たちにとって英雄なんだなという気がいたしました。
パーカーの認知度 そしてそのころのパーカーは・・・、'55年に亡くなったと思うんですが、'53年のころは非常に人気があったんだと私思います。というのはレコード屋行ったりラジオを聴いてますと、パーカーの演奏を非常によくやってたんです。
なぜかといいますと、ちょうどパーカークインテットのラテン物がでた後なんですね。「La
Paloma」とか「La Cucaracha」だとか、つまり誰でも知っている曲をパーカーがやっている。それからもうひとつはウィズ・ストリングス。これがやっぱり非常に当たりましてバードランドで何回もウィズ・ストリングスのコンサートがありまして、そういうときはもう満員だったわけですね。
つまり、パーカーもやっぱりそういうのをやりたかった、「メロディーを綺麗に吹く」ということもは彼も非常に好きだったんだと思うんですね。ですから誰でも、そんなにジャズが詳しくない人でもすんなりと聴けるパーカーのレコードがでていた後でした。レコード屋行きますと、まだLPなんかあんまりなかったんですが、45回転の「La
Paloma」だとか「La Cucaracha」だとか売ってましてね、私はそれを買ってきたおぼえがあるんですが、そういう時代なので非常にパーカーのジャズも大衆に受け入れられていた時代だというふうに私は思います。
瀬川 昌久氏 語る
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カーネギー・ホールのコンサートの顔ぶれそれでカーネギー・ホールのコンサートはまた顔ぶれが面白いんです。これはこのときのチラシなんですけども(コンサートのちらしを取り出す)ビリー・ホリディが出た、それからチャーリー・パーカー。それからディジー・ガレスピー。そしてバド・パウエルトリオ。そして最後にスタン・ケントン・オーケストラがでるんですね。
まずバド・パウエルトリオが出てバップを演奏しました。それからチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーがひとりずつでてきて2,3曲ずつやりました。何をやったか私は記録がないんでわからないんですが、おそらく「Now's
the Time」だとかビ・バップの曲をパーカーがやったんじゃないかと思うんですね。そしてディジー・ガレスピーが入りますと例によってちょっとおどけた、歌も入れたりしたものをやって、非常にみんなを笑わせた記憶があります。それからビリー・ホリディがでてきて歌いました。そして最後にスタン・ケントン・オーケストラが出まして、そこにチャーリー・パーカーがゲスト・ソロイストで出たんですよ。
これは当時のアメリカの有力なプロダクションが、ケントンとパーカーを組んだツアーをアメリカ中に計画したんですね。ですから、この日のカーネギー・ホールのコンサートの海賊盤は出てないとおもうんですけれども、'54年に西海岸なんかで2,3回やはり同じような顔ぶれでコンサートをやっていたときの実況はたしかozoneという海賊盤で出ておりますね。
で、カーネギー・ホールの海賊盤はないんですが、おそらく同じような曲をやったんだと思うんですね。当時のケントン・オーケストラも非常にメンバーもいい時でして、詳しいメンバー覚えておりませんけれども、チャーリー・マリアーノ、それからリー・コニッツ。それから有名なギタリストもおりまして非常にメンバーがよかった時なんですね。それで「My
Funny Valentine」とか「Night and Day」とか、そういうのをケントン・オーケストラと一緒に演奏して、これは非常に聴きやすかった。
アメリカのジャズ、パーカーの演奏 私そこで思ったのが日本にいると、白人系のプログレッシブ・バンド、スタン・ケントンのジャズとパーカーのジャズとまったく異質のものだというふうに日本ではみんなが言ってらっしゃいますけど、アメリカにいくとそうじゃないんですね。同じジャズをやるということで、ケントンの演奏にパーカーがすんなり入って一緒に演奏をやっているということで、私やっぱりアメリカではジャズってジャンル分けしてはいないんだと、向こうのジャズメンはそうじゃないんだということを、そのときつくづく思いました。
それで、とにかく初めて聴いたときはうれしかったものですから、わくわくするだけであんまり記憶がないんで、当時のこのチラシだけが唯一の記録になって残っているんですけど・・・。パーカーはそんなに背が高くないんですね。ただわりに太ってまして、そして吹くときは両足を開いてどっしりかまえてとても姿勢がいいんです。で、本当に朗々たるアルトの音が3階の一番後ろまで場内いっぱいに響きわたる、この音量の大きさにも大変びっくりいたしまして、非常に感激したおぼえがございます。
そんな思い出を披露させていただきました。ありがとうございました。
(会場に「Autumn in New York」が流れる)
2000年11月25日「Bird 2000」トークセッションより
2001. 2. 4 編集:よういち
資料・写真提供:辻バード氏
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