「Bird 2000」トークセッション第1回 後藤 雅洋 氏
~私がパーカーの音楽に開眼したいきさつ。「アドリブ」の凄さを実感したことなど。~  

 

えー後藤でございます。

こんないっぱい人がいると思わなかったんであせっちゃったんですけども、僕が一番バッターということで、チャーリー・パーカーについて概括的な話もするということになっちゃったんですが・・・。なにしろあそこに岩浪先生や瀬川先生などお歴々がいる前で偉そうにいうのはまったくおもはゆいのですけど、これは役目ということで・・・。知っている人はなにをいまさらとお思いになるかもしれませんけど、さっき辻さんのお話ですと「パーカーが出るのか」という素晴らしいことをお聞きになったかたがおいでになるそうで(※1)、そういう意味じゃチャーリー・パーカーってどういう人かあまりご存知ない方もおいでになるようなんでほんのちょっとだけ説明します。

ビ・バップとパーカー

ジャズの歴史というのは1900年ぐらいニューオールリンズで起こったといわれてますけれども、ちょうど100年ぐらい経ってますよね。ただジャズの歴史といいましても、それからずっと一本道で来たわけじゃなくって、非常に大きなエポックメイキングな出来事が何回かありますが、その中で1940年代半ばのビ・バップ革命が僕は個人的に一番大きかったと思います。
後藤 雅洋氏 語る
後藤氏

ビ・バップ革命っていうのは、それまでのスウィング・ジャズに対して、リズムだとか、即興性といったものを圧倒的に改革して、現代のモダン・ジャズにつながるスタイルを作り出した、そういう運動のことをいうわけですけれども、そういうスタイルを最初に考え付いてやりだしたのが、チャーリー・パーカーであり、ディジー・ガレスピーであり、バド・パウエルであるわけです。それで、それ以降のジャズを普通モダン・ジャズというわけですね。だから我々なんとなく「ジャズ」「モダン・ジャズ」って一緒くたにして言っててそれで全然問題ないわけですけれども、一応「モダン・ジャズ」というのはパーカー以降のジャズを言います。ですから現在に続くようないわゆる普通の人が知ってらっしゃるジャズの大もとをパーカーが作ったといって良いと思います。え~、まあこんなのちょっと偉そうな話なんですが、とりあえずそういう凄い人だということです。

ジャズ喫茶経営とパーカーとの関わり

ただですね、これから先はちょっと僕の個人的なおはなしをさせてもらいますけれども、私がパーカーに関わったというのは、今言ったようにチャーリー・パーカーがすごい人であるからということと直接最初からリンクしてたわけじゃないんです。というのは、今言ったような話というのは僕が言おうが言うまいが歴史的な事実なわけですけれども、なんていうんですか、私はもうジャズ聴き始めて40年ちかく、ジャズ喫茶を商売にして30年ぐらいになりますけれども、ジャズ聴き始めて最初のころは、パーカー、名前は知ってますけど、パーカーの音楽があまりよくわかりませんでした。もちろんジャズそのものもあんまりよく分かってなかったんですね。

まあちょっと楽屋オチみたいな話になっちゃうんですけれども、僕は中学生くらいからジャズを聴き始めましたけれども、その当時はもう本当に耳当たりのいいビル・エバンスであるとかオスカー・ピーターソンであるとか、これはもちろん今でも大好きなんですけれども、そういうのはわかるんですけど、マイルスですらあんまりよくわからない、ましてやパーカーなんか聴いたってなにやってんだかさっぱり分からない、そういう状態でした。
ところが、自分でもずうずうしいとおもうんですけれども、僕はジャズファンの延長線・・・、ファンとも言えませんで、ちょっとジャズを知ったかぶりくらいの程度ですね、その程度でなんと二十歳のときにジャズ喫茶始めちゃったんです。まだ大学2年在学中でしたけれども、四谷でたまたま私の親父がバーみたいなことをやってまして、そこがちょっと営業不振におちいってまして、開店休業みたいになって、そこを「おまえ貸してやるから好きなことをやれ」ってんで、そこでジャズ喫茶を始めちゃいました。親父しっかりしててちゃんと家賃も取ったんですけどね。だから、まあ、道楽といえば道楽なんだけど、一応採算ベースも考えて始めたわけです。それが1967年でしたか。で、その当時プロ・・・というのかな、ジャズ喫茶商売にしてやってるわけですけれども、正直言ってお客だとかうちの店のレコード係のほうがよっぽどジャズ知ってるぐらいで、経営者である私はもう、リクエストされても「それはいったい誰なんだ」なんていうぐらいのていたらくで、とてもいま人に本書いているなんて偉そうなことを言うと笑われちゃうような、そういう状態でした。
それでもって1967年ジャズ喫茶初めて何年かやっていたわけですけれども、たまたま5年くらい経ったときにですね、四谷で僕店やってるんですけども道路拡幅がありまして、いままでやっているジャズ喫茶が移転になる、それでその保障金がでるというんで、たまたま二軒一緒に店やるチャンスがあったんですね。そのときに僕はジャズまだよくわかってなかったということもあるんですけども、色気を出してロック喫茶も一緒に始めちゃったんですね。これはまあ、若気の至りだったんですけども。ところがまあシロウトな悲しさでロック喫茶のほう始めても、もう半年くらいでもって大赤字でにっちもさっちもいかないと、大学でも就職なんかも棒に振っちゃいましたから、どうしようか、みたいに考えてたことがあるわけです。そういうときにですね、このままロック喫茶をやるのかジャズ喫茶をやるのか、それともこういう水商売をやめて堅気の商売につくのか、みたいなことを、25歳ぐらいでしたかね、考えたわけですけども、その時出てきたのがパーカーなんですね。はなしが遠回りしちゃったんですけども。

アドリブの凄み

どんなぐあいにでてきたかといいますと、そのころ僕はジャズ喫茶もロック喫茶もやってましたけれども、正直いってロックはもちろん全然よくわかってませんし、ジャズですら、商売としてジャズ喫茶のオヤジとして5年、ファンの時期も含めれば10年近く聴いていたんでしょうかね。でもやっぱりあんまりよくわかってないんですね。まあジャズの好き嫌いはあるんだけれども、ジャズってどういう音楽か、その本質みたいなものをあんまりよく分かってなかった。
そこでですね、結局人間追い詰められると自分がやってることの意味はなんなのか考えるわけですね。自分はジャズなんてものに関わっているけれども、果たしてこれは意味があることかどうか、けっこう切実に考えたわけです。そういうときに僕が一番考えたのはジャズの世界で最高といわれてる人を聴いてみて、それが果たしてどういうものなのか、それが本当に価値のあるものなのか、それに価値があってその価値を自分が理解できるかどうか、そこに賭けてみようと思いました。

それで・・・、今でも覚えているんですけども、ちょうど25歳くらいでしたかね、パーカー、当時ダイヤル盤でしたか、東芝EMIからアナログ盤が7枚組ぐらいでてたのかな、それを買いこみましてですね、まあその前からパーカーのレコードは持ってたんですけれども、正直に言いますとそれ以前からパーカー聴いてたんですけども、あんまりよくパーカーわからないんですね。
寺島さんなんかといつも論争すると※2「アドリブか曲か」みたいなこというんですけど、パーカーはとにかく聴き所がアドリブですから、アドリブのおもしろさが分からないと、まったく分からないわけです。僕はやっぱりそのころ駆け出しファンの悲しいところで、アドリブっていうのがあんまりよくわかってないんですよね。だからメロディは分かるからメロディが美しい曲だと、いいなとおもうけれども、アドリブがバリバリでてくると、いったいこれは何やってるんだかさっぱりわからないと・・・、そういうことがあったわけですけど、そこでジャズのアドリブってどういうものなのか、パーカーのアドリブってどういうものなのか確認しよう、といったことがありまして・・・。

今のうちの「いーぐる」でもって夜、店終わったあと、ダイヤル盤ですか、もうずーっとかけました。何回も何回も聴きました。で、何週間聴いたかは忘れちゃいましたけども、非常に今でも覚えてるんですけど、最初はもう本当になんか無意味な音の羅列みたいに聞こえたパーカーのアドリブラインが、言葉にならないんですけども、ものすごい衝撃というんですか、「こんなすごいことやってるんだ」「とんでもないことやってるじゃないかこいつ」と、あるとき急に分かりました。
理屈なんか分からないですよ、「コード進行に基づいたうんぬん」なんて、それはあとからお勉強で知ったことで、そのときはなんだかよく分からないです全然。ただ聴いているだけです。まあただそれまではボーっと聴いてたのを、自分の商売どうするか考えるときにあたって根性入れまして、一音も逃すまいとずーと追って聴いてたわけですけどね。
分かったというのは体で覚えるみたいな感じですね。ここんところ自分でも本書いてても、アドリブの凄さってなんなんだって人に聞かれても、それはもう聴いてもらって分かるしかない。
これはたとえば数学の公式なんかは頭で本読んでそれで理解して分かるんですけども、たとえば泳ぎ方であるだとか鉄棒の仕方なんてのを教えてもらったって分かるわけないんですね。教えてもらって自分で練習しなきゃいけない。
ジャズの場合練習って何かって言ったら、聴く方は演奏するわけにはいかないですから、もう聴くしかないわけですね。体に音が完全に染み込むくらいというか、なんていうのかな、「音を聴いてる」最初は音がそっちにあって聴いてる自分がこっちに居る状態ですよね。それがずーっと聴いているうちに、音の中に自分が入っていっちゃうような状態になるまで聴きこむ、そうすると、まあ絶対かどうかはわからないですけども、僕の場合にはあるときに、こう・・・なんていうのかな、パーカーのソロと自分の身体がシンクロナイズしたみたいな感じで、大げさじゃなくって背筋に電撃が走るみたいな、「これがアドリブの凄みなのか」というのが分かった。

その時以来僕は、パーカーって凄い、アドリブって凄い、ジャズって凄いと、非常に単純な三段論法ですけども、そういうとんでもない凄い音楽に自分が賭けるという、商売としてやるということ、これに確信を持てました。それ以来、僕はジャズっていうものを、もちろん好きですし趣味としても最高の趣味だと思うんですけれども、趣味として関わってるなんてもんじゃなくってこれは自分が一生関わっても・・・、うまくいくかどうかは別ですよ、うまく関われるかどうかは個人の能力だとか運があるから、別だと思うんですけども、関わるっていうことに悔いはないものだということを確信しましたね。
ですから今も、商売のほうは・・・ジャズ喫茶あんまり経営状態よくないし、なんでこんなことやってるんだ、なんて女房にいつも言われますけれども、決して悔いていません。それは自分のやってきたことがどうこうということでは全然なくて、自分のやってきたこと、その対象ですね。自分のやってきたことの対象であるジャズ、そのジャズの価値を保証するパーカーの存在。これは今でも全然変わってませんし、僕も商売で店で毎日7時間ジャズをかけています。で、本なんかも偉そうに書かせてもらってますけれども、いまだにパーカー聴きます、仕事柄。やっぱり・・・、やっぱり凄いですよ。もう全然変わらないですね。で、いまだに「あんた誰が一番好きだ」って聞かれたら、やっぱりパーカーだっていうしかない。やっぱりパーカーだと思います。

「Famous Alto Break」

ちょっと興奮して長くなっちゃったんですけど、まあ出だしとしてはこんなもんでいいんじゃないかと思うんで、最後にですね、私も一生懸命聴いてて最初全然分かんなかった、騒音みたいな音の羅列だったものが途中からアドリブの凄みみたいなものに開眼した演奏。これは有名なダイヤルセッションでパーカーマニアの方には耳タコで聴いたとおもうんですけれども、マイルスなんかが入った3管のやつですね。ロスの方で録音したやつですけど、これを聴いていただきます。
それでですね、これも有名な話なんですけどもパーカーっていうのはアドリブが凄い、アドリブがめちゃくちゃ凄いわけですから、途中でですね演奏そのものがミスしたり崩壊しちゃったりパーカー自身が間違ったものもあるだろうしサイドメンが間違ったのもあるだろうしいろいろあるでしょうけれども、ミステイク、失敗しちゃったテイクでもパーカーのソロだけ注目して聴いてみるとやっぱりものすごい出来っていうんですか、恐ろしいほどの切れ味がある。そういうことでもってパーカーの場合はミステイクも全部含めて残ってます。
その中でも特に有名なのがそのダイヤルセッションのときの「A Night in Tunisia」のミステイクですね、「Famous Alto Break」っていう名前で呼ばれてますけども。パーカーが「A Night in Tunisia」の有名な6回繰り返すリフをやったあとアドリブに突入するわけですけども、まあとんでもない凄いアドリブですけども、どこが間違ったのか分からない、パーカーが間違っているというよりサイドメンが間違ったのかその辺ちょっとよくわからないんですけども、それが途中でミステイクになっちゃいます。だけれどもアドリブの切れはとんでもないものですね。「Famous Alto Break」それをまず最初に聴いていただいて、そのあと本テイクっていうんですか、「A Night in Tunisia」の一応市販されているテイクですか、それを聴いていただいて私の話を終わろうと思います。じゃちょっとかけてくれますか。もう30年以上前私が死ぬほど繰り返し聴いたやつですけども。

(会場に「Famous Alto Break」「A Night in Tunisia」流れる)

20世紀を代表する芸術

あの~、昔のことを思い出したりなんかしていろいろ考えちゃったんですけども、要するにパーカーっていうのは私にとってかなり特別な存在でありまして、極端な言い方かもしれませんけれどもパーカーがいなかったら、パーカーのよさを僕がもしわかんなかったら、まあ絶対かどうかはわからないですけど50%くらいの確率でいまこういう商売やっていたかどうかはかなり疑問だと思います。ジャズという音楽自体が、大げさな言い方をすると、信じるに足るものかどうか考えた場合、その価値を保証してくれるのが僕の場合パーカーの存在です。あそこに藤岡さんがいますけどコルトレーンでもなければマイルスでもないというか、コルトレーンも立派な人ですけれども、他の人ではなくチャーリー・パーカーであるということです。それは非常に個人的なものですけど。ただ、ジャズという音楽が20世紀の最大のアートであるということ。これは単に個人的なことじゃなくって、僕、間違いないと思いますね。20世紀もあと一月半くらいで終わりになっちゃいますけども、20世紀を代表する芸術というのは映画と・・僕はジャズだと思います。それ以外は19世紀あるいはそれ以前のものですけど、20世紀のアートっていったらジャズと映画しかないと思うんです。そのなかでやっぱり突出しているのがチャーリー・パーカー。20世紀を振り返って見た場合、絶対名前がでる人間、トップランクに挙げてもいいと僕は思います。
というわけで出だしに堅い話で申し訳ないんですけれどもこれで終わらせていただきます。


※1 「Bird 2000」開催にあたり、主催者の辻 真須彦氏に「この日はチャーリー・パーカーは出るんですか」という問い合わせがあったそうな

※2 寺島さん・・・吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」の名物経営者、寺島 靖国氏。「ジャズは曲だ」と主張。

2000年11月25日「Bird 2000」トークセッションより

2001. 2. 4 編集:よういち

資料・写真提供:辻バード氏

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