Bird Lives: 幼年時代 その4 (改訂第2版:草案) この文章は、素晴らしいパーカー・トリビュートサイト"Bird Lives"掲載の文章を、著者Llew Walkerさんのご好意により、私が和訳したものを掲載したものです。義務教育レベルの英語力で「エイヤァ」と訳したものですので、問題のある個所がいくつもあろうかと思います。間違いをご指摘いただけると幸いです。 また資料的な使い方をする場合は、くれぐれも原文を参照いただきますようお願いします。 (よういち) 原文はこちら:"Bird Lives: Childhood" * 「彼女は私のひとりの母であり、また実に母らしくあった」~パーカー1947年 * 当時のチャーリー一家に関しての主な情報源は、ロブ・ライズナーの本に載っている彼の母の章だ。不幸にも、証言当時はチャーリーの死の数年後で彼女は心を痛めており、結果的にこの章での証言はムラがちで一貫性がない。彼女の証言の裏を取ることに尻込みしている評論家も多い。近頃ゲイリー・ギディンスがレベッカ・ラフィンにインタビューをして、昔のチャーリーの新たな見解が明らかになった。ばらばらな記事類を比較し、行間までも含めて読み進めてみると、昔のチャーリーの印象がひとつにまとまってくる。それは多分に推測的なところはあるが。 アディはライズナーの本の章の始めでこう語り始めている。 「チャーリーはまるまるとした子供でした。生後11ヶ月で歩き出し、2歳でしゃべりはじめました。バードはかつてないほどのかわいい子でした。」 彼はまた非常にやさしい子だったとも述べている。当時の数少ない写真を見てみると、かわいい顔の子である。写真のひとつには、当時5,6歳のスペイン野生馬(※8)のようなものに乗った、晴れ晴れと明るい顔をした少年が写っている。別の写真の中にはタップ・シューズのようなものを履き、杖を持ち着飾ったチャーリー少年が写っている。この写真は父が芸人をしていた可能性を強めるものでもある。 彼女の意見はやや大げさなとことはあるが、チャーリーが唯一アディの人生の中心を占める子供であったことに疑いの余地はないだろう。彼女は少年のチャーリーを寸法を合わせた服で着飾らせ、新聞配達のような仕事はさせなかった。彼女は言う。 「彼が何か欲しければ、私に声をかければ手に入った。わたしが働くのも、わたしが生きているのも、チャーリーのためだった。」 アディは彼が欲しがったので楽器を与えたのだろう。このことは多少彼女にお金の余裕があったことを示している。また彼女はこう言う。 「けれども彼は甘やかされた子ではありませんでした。甘やかされた子は親元から離れようとは思わないでしょう。」 彼は学校で模範的な生徒だったとアディは言っている。「常に成績がよく」、スポーツは好きではなかったけど、読書は大好きだった。 「地下室で大量の本を良く見かけたわ」。 「小さい頃のチャーリーは友達がたくさんいて、映画とアイスクリームが好きだった。」 とアディは言う。 いくつかの場面で彼女は息子との関係についてある種の洞察を与えてくれる。 「チャーリー、何か問題にまきこまれたらお母さんを呼ぶのよ。」 そしてこういっている。 「チャーリー、そんな事はしないで、お母さんのもとに帰ってくるのよ。」 「チャーリーにはドリスとは仲良くやって欲しいと思っているの。」 「お母さんはあなたを愛しているの。でも言うとおりにしないなら出て行きなさい。」 この発言がどれほど曲解された部分があったとしても、いずれは若きチャーリー・パーカーが母を口うるさい存在と思うようになると想像がつくだろう。彼女はのちに、「20ドルから25ドル、彼の衣服を買うために」彼に与えていたと言っている。さらにこうも述べている。 「150ドルから200ドルほど、彼の非常時のために私は家の中に置いていました。彼はいつも利子をつけて返していました。」 この発言の中「彼の非常時」には、彼女が詳細に述べていないある種の暗示が感じられる。 さて、こうしてチャーリー・パーカーの人生の最初の十年間を見ていくと、比較的まともであったように見える。彼の両親は互いに夫婦としてやっており、チャールズ・シニアはある時期鉄道客車で働いていて多分家を離れてはいたけれども、散発的ではあるが一家を支えていたように見える。アディはフランクとチャーリーを学校に通わせようと努めていた。だた、おかしなことに、1930年の市民台帳にはチャーリーは読み書きができず、この時期まで学校に通ってはいなかったと記載されているけれども。 この時期格段チャーリーにとって激動は見られない。ただ、州境を越えた引越しをしたことを除いては。このことはただ一人大切に育てられた、幼きチャーリーにとってちょっとやっかいなことだったのでは。そこで新しい友達を作ることは大変なことだったように思える。 パーカーの際立った能力や音楽への傾倒について、彼の人生最初の十年間にその兆候は見られない。だが、次の十年間はまったく違ったものとなった。 (「青年時代」へ続く) ※8:スペイン野生馬はチョクトー族のネイティブ・アメリカンが好んだ馬で、アディにはチョクトー族の血統の背景があるので、チョクトー族との縁故が彼女にはまだあったのではと、この写真から推察する人もいる。たしかにそういった指摘もできるが、写真撮影のために御者が連れてきたただの馬だったとも言える。 2005.11. 6 Llew Walker
日本語訳 よういち
(初版:2005. 6.14) This text is from "Bird Lives" translated into Japanese,
with permission granted by Llew Walker. Permission granted by Doris Parker under license by CMG Worldwide Inc. USA |