Bird 2000
当時の「Bird 2000」のこのサイト用宣伝バナーです

Bird 2000 ~パーカー生誕80年記念イベント~
 レポート 第一部
 

 

2000年11月25日(土)「SOMEDAY」にて行われた、チャーリー・パーカー生誕80年記念イベント「Bird 2000」のライブ・レポートです。いろいろつたえたいことはあるのですが、いっぱいありすぎて充分につたえることができるかどうか・・・。

当日は超満員で、SOMEDAY近辺は長蛇の列、会場内はまったく身動きがとれないほど。すごい人込みでトイレにもたどり着けない!
年齢層もさまざまで男女関係無く青年からご年配の方々まで、世代を超えてパーカーがずっと愛され続けていることがよく分かります。パーカーファンがこれだけ居るという事実にまず感無量。なんだか会場に入りきれない人たちもいるぞ。



17:00すぎ Bird 2000 スタート ~ 窪田鉄郎カルテットの演奏

日本チャーリー・パーカー協会会長の辻バードさんの挨拶で「Bird 2000」が開催されました。
一番最初に窪田鉄郎カルテットの演奏です。
「Yard Bird Suite」「Parker's Mood」「Just Friends」とパーカーファンならおなじみのナンバーが演奏されます。途中で辻バードさんの曲の解説も入ります。へ~「Yard Bird Suite」ってストラヴィンスキーの「火の鳥(Fire Bird Suite)」をもじったものなのか~。知らなんだ(普通は気づくか?)。 アルトの滑らかな音色、ベースなどリズムセクションの迫力のサウンドが天井まで響きます。
それにしても「SOMEDAY」のライブハウスは良い響き具合だな。天井が若干高めで程々の残響感が伝わってきてキモチいい。パーカーがここで吹いたらいい音がするだろうな~。
カルテットの演奏が進むたびに興奮のためざわついていた会場の空気が落ち着いてきてひとつにとけあっていきます。 いいな~。



17:35 トークセッション その1

次は、ジャズ喫茶店主にしてパーカーフリークの後藤雅洋氏、日本でただひとりパーカーを生で聴いた瀬川昌久氏、世界的パーカー音源蒐集家である三浦和三郎氏が順々にパーカーについて語っていく、トークセッションです。

まずは後藤氏がパーカーをよく知らない方のためにパーカーの概括を語ります。なにせ今回「今日はパーカーは出演するのですか?」という問い合わせが入ったそうですから!そして後藤氏の店の経営とパーカー体験をリンクさせて、パーカーの凄さを語ります。氏の人生そのものがパーカー体験から直接的な影響をうけたことがうかがえます。
次に瀬川氏が日本で唯一生のパーカーを聴いた当時の体験を語ります。1953年9月26日カーネギー・ホールでのことです。そのときの様子を書いた文章を読んだことはあるものの実際お話を聞いてみて会場の様子だけでなく当時のN.Y.の様子が頭の中に浮かんできました。ワタシ達がビレッジバンガードなどにいくのとは違って、当時日本人がカーネギーホールへ行くということはホント特別な状況だったのだろうと思います。
その次は三浦氏が自身のパーカーコレクションについて語ります。銀行にお金を借りてまでパーカー蒐集をするという執念がスゴイ。やはりお金には苦労されていたのですね。そして珍しいコレクションも見せてもらいました。ブラックデュースレーベルの1947年9月29日カーネギーホールのSP3枚組み、ダイヤルレーベルのSP、そしてジュビリーAFRSの16インチ放送用トランスクリプションです。わっ、わっ、辻バードさん落とさないで!

そしてここで今日の目玉のひとつ、全世界未公開の1949年2月11日カーネギー・ホールでのセッションの音源が会場に流れます。スゲ~。ファッツ・ナバロやソニー・クリス、フィリップ・フリップスなどが一堂に会した演奏で「Leap Here」が流れます。ソロの順番は、フィリップ(ts) ~ トミー・ターク(tb) ~ (as) ~ ナバロ(tp) ~ (as) ~ハンク・ジョーンズ(p)。「アルトサックスの順番はパーカーが先かクリスが先か言いませんので当ててみてください」といわれてちょっと緊張。隣にいた「ジャズ批評」の編集者の方々も聴いていて悩んでいた様子でした。でも音色の伸びと突き抜け方、そしてフレージングでわかった。最初に出てきたアルトがパーカーだ!
それにしてもコンサート音源でこの集音のよさは奇跡的です。大バコのコンサートは録音位置や方法によって音源の善し悪しが激しく個人的にはそれほど期待を寄せないようにしていたのですが、この音源は程よい残響、コンサートならではの一体化した空気が感じられてとても良いです。パーカーの透明で突き抜けた音色が一直線に耳に飛び込んできます。イメージとしてはSavoyの「an EVENING at HOME」のパーシングボールルームのコンサートがもっと白熱したかんじでしょうか。各人のソロが終わるたびに観客からの歓声があがっています。ナバロも高らかにトランペットを吹き上げて白熱のソロです。

そうこうしているうちに長い白ひげをたくわえた黒ずくめの老人の姿が・・・。今年で79歳、チャーリー・パーカーを中心にしたビ・バップ・イラの生き証人、トニー・スコット氏の入場です。おお、貫禄・・・。

この次は、ジョン・コルトレーン研究の世界の第一人者、藤岡靖洋氏からの手紙による祝辞、のはずだったのですが、何と本人、矢も盾もたまらず他の仕事ほっぽって来ちゃいました。「コルトレーンの'40年代のアイドルはパーカー。パーカーがいなければコルトレーンのスタイルも完成しなかった。パーカー命のコルトレーン、ということで来ました」とのこと。着物姿で素晴らしいフットワークです。



18:45 伊東伸威カルテットの演奏

今度は伊東伸威カルテットの演奏です。会場が混みすぎてメンバーがなかなかステージにあがれない。ベーシストのかかげ持つアコースティック・ベースが頭の上を通りすぎる・・・。曲目は「Red Cross」に「All of Me」。「Red Cross」とは、シ、シブイ。おもむろに白熱のフレーズを吹ききるアルト、軽やかな音色が耳にキモチいいギター。張り詰めた空気の漂う中、丁寧にバックをつけるリズムセクション。ビ・バップのスリルと緊張感、醍醐味を充分に味わせてくれます。
「All of Me」ではピアノが見事なストライド・ピアノを披露。緊張感から一転して和やかな空気につつまれ会場は盛り上がりました。



19:10 トークセッション その2

再びトークセッション。有名ジャズ評論家の岩浪洋三氏、日本ホットクラブ会長の石原康行氏、そしてパーカーのベストフレンドかつ世界有数のクラリネット奏者トニー・スコット氏です。それにしてもムチャクチャ豪華メンバーだな。
岩浪氏がディジーからきいた映画「BIRD」の感想が興味深い。でも話がどうしてもパーカーの女性遍歴の話へそれていく・・・。親近感持てます、パーカーにも岩浪氏にも・・・。
石原氏によって1963年現TBSにて収録されたトニー氏の演奏「I'll Remember April」が公開されました。クラリネットの音色が高らかに響き渡ります。トニー氏は目を細めて聴きいって壁にかけられたパーカーの写真にキスをします。感極まったトニー氏はクラリネットを持ち出しテープの演奏にあわせて「ピー」と一吹き。

そしてトニー・スコット氏のパーカーとの思い出が語られます。
興奮しながらひたすら話し続けるトニー氏に通訳の方があいだに入るスキマもありません。でも断片的にこちらに伝わってくる話は当時を体験してきた重みとリアリティに満ちています。
「パーカーが吹くとライブハウスの床がびりびり震えた」
「最初にパーカーをThree Deucesで聞いたとき、あまりにも理解を超えていて月から中国の音楽が聞こえてきたように感じた」
「もしクスリをやっていたら俺はおまえを絞め殺す、とパーカーは言った」
「パーカーが死んだと叫ぶバブス・ゴンザレスからの知らせをきいて、N.Y.各地の死体安置所に問い合わせた」
「パーカーの葬儀のときチャールズ・ミンガスが、その棺はパーカーではない!と叫んだ」
などなど・・・。

さっきからクラリネットを持ちウズウズしながら興奮気味のトニー氏、いよいよ彼のソロ演奏が始まります。「Blues for Charlie Parker」。ものすごい大きいサウンド!深みと激しさの交錯するフレーズ。講演の中でトニー氏はこうも言ってました。
「そもそもクラリネットでビ・バップをする奏者は(私以外)まずいない。バディ・デフランコもいるがブルースが足りない。ブルースがなければ!」
「パーカーはとてつもなく大きな音を出す。クラリネットではなかなかこうはいかんが、クラリネットでは私以上に大きな音を出す奴はいない」
そのサウンドからはバップ・クラリネット奏者としての気骨を猛烈に感じます。目を閉じてクラリネットに息を吹き込む姿はパーカーに魂を捧げているようにも見えます。

最後に先ほどのトニー氏の演奏テープと花束が石原氏からトニー氏へ贈呈されました。
トニー氏は一言「パーカーはパリの公演で贈呈されたバラの花を食べていたね」。




第二部へ続く

 

 

2000.11.26 よういち
 

 

Permission granted by Doris Parker under license
by CMG Worldwide Inc. USA


ホームへ  BIRD'S NEST メニューへ   Back | Next