パーカーとモダン・ジャズ創世記のギタリスト達  

 

 モダン・ジャズ最大の立役者チャーリー・パーカー、彼の元を去来したギタリストは彼から何を学び、どう自己のスタイルを発展させていったのだろう。また、パーカーに何か音楽的ヒントを与える事ができた先駆的なモダンなギタリストはいたのだろうか?

 1937年のリノ・クラブでの“シンバル事件”の後、パーカーはオザーク湖畔で文字通りの集中特訓を繰り返し、来るべきリヴェンジの日に備えていた。そこで彼の練習に付き合うだけでなく、コード理論をこと細かに教えたのはギタリストのエフェージ・ウェアであった。ウェアは当時ジョージ・E・リー楽団のメンバーであり、この地のパセオ公園で音楽講座の指導もしていたのだ。
 当時、彼らがどのような練習をしていたかは想像に頼るしかないが、3年後の40年1月にウェアはハーラン・レオナルド楽団に参加しており、「ロッキン・ウィズ・ザ・ロケッツ」のイントロでコード分散を取り入れた見事なソロを披露している。これは同時期に既にチャーリー・クリスチャンが完成させていた事ではあるが、37年にパーカーと共にこのアイディアを煮つめていたとすれば驚きである。
 「ロッキン・ウィズ~」でのウェアのソロはバップを感じさせるほどはモダンではない。しかし、このアイディアはパーカーにとってバップを創造する1つのヒントにはなったのではないか。さらに2年後の42年、パーカーは既にジェイ・マクシャン楽団のスター・ソロイストになっていたが、友人に贈るアセテート盤をレコーディングする際、伴奏者にウェアを使い、レスター・ヤングからの影響を露呈したアルトを披露した。ウェアはパーカーとの歴然とした差にショックを受けたのか、この後2度とアドリブ・ソロをレコーディングする事はなかった…。

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BIRD in Tiffany Club
 40年代の初頭、ニューヨークのハーレムにあるアップタウン ・ハウスやミントンズ・プレイハウスでは、バップを模索する強者どもがジャム・セッションを繰り返していた。これらの店にギタリストではクリスチャンをはじめジョン・コリンズらが参加していたが、もう1人パーカーと共演していたと思われるギタリストがいる、タイニー・グライムスだ。41年にホット・リップス・ペイジらとミントンズで演奏した「アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー」の録音が残っているが、クリスチャン・スタイルを全面に出した弾き方をしている。この3年後の44年9月にタイニーはサヴォイ・レーベルに初リーダー・セッションを行うことになるが、その際に選んだホーン・プレイヤーはパーカーであった。
 クリスチャン奏法に磨きをかけ4弦ギターでスウィングするタイニーに対し、バップ奏法を完成させ滑らかに速いパッセージを繰り広げるパーカー、「タイニーズ・テンポ」や「レッド・クロス」のアルトは明らかに主役のギターを食ってしまっている。タイニーのスタイルは、当時の平均的なスウィング・ギタリストよりはやや先を行っていたが、バップの証でもある♭5thや♯9thは1度も使ってない。スタイル的には数年前は自分とさほど変わらなかったパーカーが、こんなに見違えってしまったのを目の当りにしてタイニーがショックを受けたのは間違いないだろう。「こんな凄いヤツがいるんじゃバップは諦めよう」と言ったかどうかは知らないが、タイニーはこの後、正攻法ジャズ・ギターの道を外れ、よりR&B色の強いコマーシャルなジャンプ・スタイルに変貌していく…。

 45年2月、ディジー・ガレスピーの3回目のリーダー・セッションがギルド・レーベルに対し行われた時、ディジーはパーカーと共にギタリストのレモ・パルミエリを呼んだ。レモは当時、最も早い時期にモダンなフレーズを弾いたギタリストであったが、コールマン・ホーキンスやテディ・ウィルソンをはじめスウィング系のミュージシャンとの共演数の方が圧倒的に多く、真のバッパーとレコーディングするのはこの時が初めてであった。
 超絶技法を連発するパーカーとディジーに対し、レモのサウンドは音使いではモダンな香りを漂わせるもパワー負けは否定できない。しかもアップ・テンポの「ディジー・アトモスフィア」ではテンポに付いて行けなかったのかソロのスペースが与えられていないのだ。
 この時点で、ギタリストがバップを弾こうと思った場合はモダンな音使いのみではなく、ホーン・プレイヤーに勝てるだけの太い音色やパワーが必要になってきたのがわかる(決して音量だけの問題ではなく)。
 パワー負けした事にショックを受けたかどうかは知らないが、レモはこの後一線を退き、スタジオ・ワークに専念する事になるのだ…。

 レモと同じような道をたどったギタリストがもう1人いる、アーヴ・ギャリソンだ。46年3月、パーカーの2回目のリーダー・セッションがダイアル・レーベルで行われた時に呼ばれたギタリストである。
 パーカーをはじめマイルス・デイヴィスやラッキー・トンプソンなどソロイストが多かったため、ギャリソンに与えられたソロのスペースは僅かであったが、ブリッジ近くでピッキングする独特の堅い音色で、やや速いパッセージなども交えながらモダンなフレーズを弾いている。
 しかし、彼もまたパワーで劣っているのは認めないわけにはいかない。ホーン・プレイヤーと対等に張り合う、これはジャズ・ギタリストにとって永遠のテーマでもあるのだが、センスと工夫によっては必ずしも不可能ではないのがこの後証明される…。
 ちなみにギャリソンも“パーカー・ショック”を受けたかどうかは知らないが、40年代末から一線を退き、故郷に帰り地元で細々と演奏活動を続けていたということだ…。

 ところで、トランペットとサックスにピアノ・トリオがリズムという編成が主流となるバップにおいて、なぜディジーやパーカーはギターを加えたのだろう。
 40年代初頭のミントンズやアップタウン・ハウスで、クリスチャンがバップの原石となるフレーズを弾きまくっていた印象が強かったからではないか? 当時クリスチャンはベニー・グッドマン楽団のスターであり、ディジーやパーカーは多少の実績はあったもののまだ確固たる地位を築いていたわけではない。憧れにも似た眼差しでクリスチャンを見つめていたであろう事は容易に想像できる。
 この時期を通して“バップにギターは不可欠”という意識が高まったに違いない。しかし、しかしである、述べてきたようにバップを理解できなかったり、理解していてもパワー負けしていたりと、対等に張り合えるギタリストがいなかったのも事実なのだ。それで徐々に“バップにギターは不可欠”→“バップにギターは不要”という意識に変わってしまったのではないか。ギタリストとしてはせっかく与えられたチャンスを自らの実力不足でフリにしてしまった事になる。このままではディキシーからスウィングへの移行期に切り離されたバンジョーやチューバのように過去の産物になってしまう!

 ここで登場するのがバーニー・ケッセルだ。47年2月に行われたパーカーのダイアル・セッションで起用され才能を開花させる事となった。ケッセルは既に♭5thや♯9thを多用したバピッシュなスタイルを身に付けていたが、他のギタリストのようにパワーで負けないようにと、常に意識もしていたに違いない。
 太い弦を張り、特に速いフレーズでない限りダウン・ピッキング、それをチャーリー・クリスチャン・ピックアップ(通称)を通してプレイした。これだけでも音を太くできたが、加えてコード・ソロなども取り入れ、他のプレイヤーを圧倒しようとした。
 この時レコーディングされた「リラクシン・アット・カマリロ」のギター・ソロなど“どこかぎこちないテナー・サックス ”のようにも聴こえ、トランペットのハワード・マギーよりもホーンライクでどっしりしているかもしれない。ホーンライクに弾く事が良いか悪いかは別問題としても、この段階でケッセルはホーン・プレイヤーと対等にプレイしたのだ。
 クリスチャン奏法を完全に消化し、それをバップに対応すべく進化させ、さらにはギターがこの世に登場した当初から存在したであろう2つの奏法(シングル・ノートとコード)を程よくミックスし、モダン・ジャズ・ギターを完成させたのだ。

 しかし、前述の“バップにギターは不要”の意識はなかなか払拭できず、これ以降ディジーやパーカーがギタリストを起用する事は殆どなくなてしまった。でもケッセルが築いたジャズ・ギターの地位は揺らぐ事はなく、50年代に入ると次々とリーダー・アルバムをレコーディングし、ギターもジャズの王道を歩める事を証明した。
 50年代最高のギタリストとして君臨する事になるタル・ファーロウは、 クリスチャンからの影響に加え、ケッセルが示した太い音と圧倒的なパワーを即座に取り入れ、自己のスタイルを形成した。それ以後は皆さんも御存知、ウェス・モンゴメリーの登場やフュージョンの台頭などがあり、現在まで脈々と“パーカー・ショック!?”は生き続けている(と思う)。

※“パーカー・ショック”を強調するあまり、大好きなギタリスト達を力量不足的に書いてしまった…、反省。
※ここで述べた以外にもジェイ・マクシャン楽団時代のレオナルド・ラッキー・エノイス、スリム・ゲイラード、ビリー・バウアー、マンデル・ロウなど、パーカーと共演したギタリストは他にも存在する

 

 

1999.12.19 Y.KUBOKI
 

 Y.KUBOKIさんの運営するページ「TO BOP OR NOT TO BOP 20's~40's Jazz Guiter Station」もあわせて御覧ください。  

 

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