BIRD Chasers
(過去ログ 56)
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10/02/11(木)21:33:03 marcel
- No.1300: birdslegacy site down?
- what´s the matter with toriya´s "birds legacy" site? it´s off for a long time now.
keep boppin´
marcel
10/01/07(木)21:03:35 Sin
- No.1299: 謹賀新年
- Bird lives...
10/01/02(土)10:33:00 よういち
- No.1298: 皆様、明けましておめでとうございます!
- 昨年は引用フレーズ集中心の更新にとどまり、後半はそれもままならない状態で、残念でした・・・。
今年はとりあえず引用フレーズが120個に達した時点で音源紹介のリニューアルに着手したいなと思っています。
よろしくおねがいします!
09/11/14(土)19:07:22 sato
- No.1297: レコード
- よういち様 ありがとうございます。まだ見つかりませんので、一度オークションに出そうかと思います。
09/11/14(土)02:43:07 よういち
- No.1296: ワタシもご無沙汰です(笑)
- satoさん、こんにちは。
すでにどなたかから打診があったでしょうか?
いっぱい聴いてくれる貰い手があらわれると良いですね。
デクスターさん、こんにちは。
私の場合は、とにかくパーカーをさらに気持ちよく聴けるようになることにつながれば
多少の回り道、寄り道はあっても、小難しい考察も有意義なのではとおもっております。
netjazzさん、こんにちは。
よくご存知ですね。いつするかはまだ決まっていないのですが。
一筋縄ではいかない人ですが、ガンバリマス。
09/11/09(月)00:41:09 netjazz
- No.1295: ご無沙汰してます。
- デクスターさん
いーぐるといえば最近、懐かしいjazzsaxさんの板を思い出していました。日本ではアメリカン・ビンテージの価格も下がってしまい、ジャズ理論も?な状態で何となく寂しいですが、私自身は懲りずにまたブリルハートに戻っています。
テナーは私も偶然ロリンズをやってました。リラックスして吹けるのでいいですね。
よういちさん
ウォーン・マーシュやるんですか。音色重視の人にはわからない分野だと思うので頑張ってください。
では。
09/11/05(木)17:20:41 デクスター
- No.1294: No-Title
- 皆様ご無沙汰しております。
イーグルも思わず見ましたが、なぜビバップ楽しむのにあのように難しくなるのかさっぱり理解できません。まあ字数が重要なのでしょう。現在の情報可用性から考えると批評は厳しい批評にさらされていますね(笑)。私的には、針を落とせば、そこに、バードやパウエルがいますから、哲学は不要です。
最近は、テナーばかり吹いているので、ロリンズ系研究の週末です。かなり、新しいことも取り組んでいます。グロスマンのネオ・ビバップ的な。
また、皆様にお会いできるを楽しみにしています。
09/10/27(火)12:55:47 sato
- No.1293: はじめまして
- 父から譲り受けたjazzレコードの中に、Charlie Parkerのレコードも数枚あるのですが、その中でブートレグ(私はあまりよくわからないのですが。。)のコレクションをしている方がいたら、お譲り(お売り)したいと思っています。興味のある方いらっしゃいましたら詳しい写真など送らせていただきます。その他Fantasy6012(VIJ-5015M)の見本盤などもあります。こちらは普通のLP→verve,BARONET(THE EARLY BIRD), SAVOY MG-12009,12179,12186他もあります。 こちらのサイトを今日知り、是非パーカー好きの方に(もちろん私も大好きです)聞いて頂けたらと思います。
09/10/24(土)00:42:58 よういち
- No.1292: Re: 澤田一範ウイズ・ストリングス・サムデイ
- TORIYAさん、こんにちは。
以前聴いたような豊饒の音、また浸りたいですね。
行ければ行きたいのですが、仕事の都合でちょっと微妙です。
行けなかったらゴメンナサイです。
09/10/19(月)15:37:56 TORIYA <http://www.birdslegacy.com>
- No.1291: 澤田一範ウイズ・ストリングス・サムデイ
- 皆さん、こんにちは。
今月29日木曜日、新宿サムディにてまた澤田さんのウイズ・ストリングスの公演があります。是非覗いて聴いてください。
私も仕事ですが、休むことが出来れば行きます。
いつもの小田、吉野ご夫妻とバードさんの奥様がお見えになるようです。
では。
09/09/20(日)11:26:53 よういち
- No.1290: RE: New Dial Book
- Sinさん、TORIYAさん、お久しぶりです。
私の元にもノーマンさんから連絡がありました。
あいにくの金欠で購入は厳しい状況ですが、入手された際にはどんな内容だったか
ぜひ教えてくださいませ。
09/09/16(水)20:56:58 Sin
- No.1289: TORIYAさん
- こんばんわ。
...のようですね。ジェフから同様の回答が来ました。
TORIYAさん、送料も張りますので、オーダーされるのでしたら厚かましくも、また共同購入させて頂ければ嬉しいと思いますが。
ノーマンからは、新たにコレクションに加えたというビリーバーグの店のガラス製の灰皿の画像を見せてもらいました(笑)。
09/09/16(水)15:50:49 TORIYA <http://www.birdslegacy.com>
- No.1288: New Dial Book について
- Sinさん、ご無沙汰です。私も連絡を受け著者に問い合わせてみました。
Vol.1が757ページ、Vol.2が48ページのようで、価格は70ドル、2巻合わせての
送料は42ドルで、合計112ドルです。この著者は既に"Jazz by Mail”という507
ページのレター・サイズの本を出しており、JazztoneやDial recordsの詳細が
記された貴重なものです。
この本も欲しいのですが・・・・
09/09/15(火)20:32:54 Sin
- No.1287: お久しぶりです
- ご無沙汰しています。お元気ですか。
ノーマン氏よりの情報、760ページ厚のDIALレーベルに関する本が限定出版されたようです。
とりあえず、書名と著者のみお知らせです。
Dial Records, West Coast Jazz and the Be-Bop Era
by Geoffrey Wheeler
09/05/31(日)17:56:37 よういち
- No.1286: RE: ミッチ・ミラー
- '49年のウィズストリングスセッションではマーキュリーのA&Rに務めていて、
セッションの制作ディレクションも行っていたミラー氏。
まだご存命だったのですね(失礼!)。
私自身はまだ生まれていなかったのですが、
'60年代にNHKで『ミッチと歌おう』という番組があって、
「ひげの指揮者」として、実は日本でも親しまれていた方らしいですね。
09/05/28(木)10:57:50 いずみ
- No.1285: ミッチ・ミラー
- 先日TV番組「トニー・ベネット ミュージック・ネバー・エンド」という番組を
観ていたら「あッ この人 どこかで見た人!」という人物が登場しました。すぐ
にレコーディング・プロデューサのミッチ・ミラーであることが紹介されました
が・・・・。
ミッチ・ミラーと言えば、1949年11月Mercury Studioでの"Just Friends"
セッションでオーボエを吹いている「ヒゲのおじさん」の写真がありますね。
60年経過した現在も活躍中であることに安心しました。
09/04/30(木)22:28:37 netjazz
- No.1284: Re:ブラ3
- > 私が見つけたかった、キーッ。
報告したの私です。あしからず(笑)。
61年の映画「Goodbye Again」で
ラッキー・トンプソンとケニー・クラークが
やっていたやつ、って違うか・・・
> 万希のBop専門ジャム
Bopでも最近は前にHardが付いてません?
モーニンやブルーマイナーで盛り上がっているでしょうか。
09/04/30(木)00:01:50 かなやま
- No.1283: ブラ3 と ハウイン1000
- 引用 新出やられました。私が見つけたかった、キーッ。見つけた方、すばらしい。
http://www.chasinthebird.com/quotes.html
さて昨日の私はディレッパー(ディレッタントバッパー)デビューでした。引用はその場の思いつきで Pop Goes The Weaselをモチーフに攻めてみたところ、意外に好評(曲は文脈無視のHow Insensitive)。またも引用一覧のお世話になりました。
netjazzさま
最近pfヒロセさんによくお手合わせいただいています。万希のBop専門ジャムなどは如何。
09/04/29(水)11:17:32 netjazz
- No.1282: なるほど、
- 北野誠氏謝罪会見もありましたし、
過去には“業界から抹殺してやる”などというメール事件も
ありましたから、このあたりが潮時でしょうか。
悪いところが悪いといえない、というのは、
暗黙に全否定するしかなくなるのですが、
これからはあの集団は切り離して考えましょう。
09/04/29(水)10:03:01 Sin
- No.1281: It is a music.
- マァ、いいじゃありませんか。おっしゃるとおりです。
でも音楽にかぎらず、批評というものはどこでも常に成立するわけで批評も自由!
もまた真なのです。
少し以前「彼は正しい」、「彼は○△が間違っている」、みたいな論調はたしかに
多かったし、それに便乗した意地の悪い書込みもホンの一部あったように思いますが、
ほとんどは節度のある発言が交わされているものと思います。
それらをひっくるめて全部否定してしまうことは、やはりできないと思います。
この論議は、やめにしませんか。"It is a music!" ですよ。
09/04/27(月)12:33:50 netjazz
- No.1280: ジャズ評論批判
- よういちさんも、私のジャズ評論批判にはほとほと
困っているようなので、そろそろまとめに入っても
いいかもしれませんが、今までプレーヤーを散々
批判してきて、自分たちが逆にその対象になったら
ブチ切れるというのもどうかと・・・ネットの出現によって、
これからは評論も評論の対象となる時代になったのです。
彼らの主張の中には、“ジャズプレーヤーの言葉ほど
信用できないものはない”というのがありますが、
パーカーの伝説の中のプレーヤーの発言や、
マイルス自伝などは、部分的に間違いがあったとしても、
むしろかなり精度が高いといえるでしょう。
評論家は自分たちの先入観や無理解でそんなことを
いうのですが、言葉で何か理解したいのであれば
まずはプレーヤーの言葉を解釈していくのが先決です。
(例えば、「俺の音楽をジャズと呼ぶな」など。)
パッとわからなくても、わかるまで読む、ということで、
たくさんCDを買わされる変な入門書で変な先入観を
刷り込まれるよりはずっといいのです。
“評論家の言葉ほど信用できないものはない”
もちろんデータの記述は参考になりますが、
“ジャズの本質”などといいだしたら即疑ってかかるべきで、
それを言葉にする権利は、プレーヤー自身が自分の音の
範囲で、ということに限定されます。
リスナーの体験はその人個人の“本質”でしかありえず、
それを言葉にすれば書物という作品として評論の対象となるのです。
当然、こう書けば私のこの書き込みも評論の対象に
なるのでしょう。でも、これはパーカーについて書く、
ということの限界についてで、そこのところをお考え
いただきたい、ということと、そんな文章に接した場合の
読み方をご提案させていただいた、ということです。
> パーカーの追っかけ
これはモダンジャズの基本であり心構えですね(笑)。
パーカーがいなければ今頃ジャズなどやっていません。
09/04/26(日)19:54:07 Sin
- No.1279: 受容と変容
- ジャズの受容理論として、あれこれ語られたわけですが、「これが正しい、他の聴き方はダメ」
というのは、変だと思うのですよ。
そういう意味で、パーカーの追っかけプレイヤーの気持ちとしてのnetjazzさんは、よく分かる
ように思っています。作家・演奏家より、評論家の方が権威があるのも変ですし、パーカー自身は
少なくとも、そんなこと考えてはいなかったわけですしね。
変容を避けながら、ピュアにパーカーを楽しみたければ、できるだけダイレクトなパーカーに
近づいていけばよいのですが、手がかりを求めてあれこれの批評に近づいていくのも、まるっきり
意味のないことではないかもしれません。
ただ、変なクセをつけてしまうと(たとえば、ジャズは小さな死を体験しつつ自らを超克する脱自
体験なのだ! と、いうように)、その尺度でもって音楽を再評価してしまうことになりかねない
ので、そうなってしまうとだいぶ低レベルの話に堕してしまうことを危惧しますね。
まあね、私は、パーカーを聴いているのがただ好きなだけなので。
09/04/25(土)10:05:39 netjazz
- No.1278: いやいや、
- 私もその原文おろかバタイユ入門も読まないで
書いているのですから、単なる想像です(笑)。
哲学書はそのバックボーンを十分理解しないと
誤読と誤用の宝庫となりかねないですね。
それでも何かしら成果があれば、ということであえて続けます。
「権威」ということを単純に解釈すれば、
“意味を吟味せずに無批判で従うもの”ということで、
これはバタイユも哲学や小説を書くことで成功しています。
「バタイユ? 何か分からないけどスゲー!」というふうに。
パーカー自身の演奏も感動したものにとっては権威です。
意図がわからなくても楽しめますから。
でも、ジャズ評論をする立場で自分のパーカー体験に
ついての権威を欲しがっている人がいます。
自分でも理解していない哲学者の名前を出して
権威づけに利用しながら書くというのがその正体です。
体験への導きとその論拠を含めて神秘主義といいますが、
これまでのジャズ評論そんな方向を向いていました。
彼らの育った環境、時代、思想などの影響でしょうね。
では、今後はどうなるのか? ということですが、
構造主義でも勉強するか・・・というよりリスナーに
とっては評論をどうするかでしょうね(笑)。
私は本ではないと思うのですが、まあゆっくりやって
いきましょう。
09/04/25(土)02:13:23 よういち
- No.1277: Re:ブランショ
- たぶんワタシ「権威」という言葉を乱暴に解釈しているのかもしれませんね。
「体験それ自体が権威だ」の「権威」を刹那的な熱き威力(魅力)として、
「この権威は罪滅ぼしをしなければ」の「権威」を<教会の伝統>のような形骸化への移ろいとして、
一文のなかに「権威」の意味合いの移り変わりを感じていた様に思います。
「権威」を前者の意味で捉えると「体験それ自体が権威」であることに違和感もなく、
後者の意味で捉えると、ハイデガーやニーチェの言葉とも、さほどかけ離れているようにも感じませんでした。
でも・・・やっぱり無理がありそうですね(汗)
なんにせよ、新書一冊だけで浅く解釈するのは危なっかしいですね。
失礼しました!
09/04/24(金)00:16:38 Sin
- No.1276: 念のため補足
- 「体験それ自体が権威なのだ、ただしこの権威は罪滅ぼしをしなければならない」
確認できないのではっきりとは分かりませんが、ブランショが語ったという言葉であるならば、
「死は実存の一部であり、現存在が既に死を含んでいる(ハイデガー)」ということかまたは、
「超人も没落しなければならない(ツァラトゥストラ=ニーチェ)」という意味ではないでしょうか。
よういちさんの解釈のようなことをブランショが語ったとは考えにくいです。
念のため補足です。
09/04/23(木)23:51:58 netjazz
- No.1275: Re:バタイユとブランショ
- > 「体験それ自体が権威なのだ、ただしこの権威は罪滅ぼしをしなければならない」
これはどういう文脈で使われているかわかりませんが、
09/04/12(日)12:58:22に私が書いたことのような・・・。
パーカー体験自体は“わかった”と盲信させるの権威なのですが、
それは体験故に権威にはなりえない、ということではないですか。
> まあ、そんなにエキサイトしなくても。。。ですよ(^^;)
> 掲示板だけのやり取りは不毛なことも多いですよね。
インターネットはジャズの聴き方、批評についても
変える可能性があると思っています。
もちろん、いちいち不毛なやり取りに付き合わなくても、
「あれは間違っているし、認められない。」と
自分の考えを表明しておけば十分なのかもしれませんけど。
09/04/23(木)00:40:02 よういち
- No.1274: バタイユとブランショ
- 目をまわしながら、ちくま新書『バタイユ入門』と、光文社『マダム・エドワルダ/目玉の話』を読んでみました。
『マダム・エドワルダ』からの”どす黒いハレーション”の感覚がパーカーに結びつくかは
なんともいえなかったのですが・・・。
一番心に残ったのはバタイユ自身の事柄ではなく、『バタイユ入門』に書いてあった
モーリス・ブランショという人が彼に与えた助言だったりします。
「体験それ自体が権威なのだ、ただしこの権威は罪滅ぼしをしなければならない」
というのがそれで、バタイユにとってはコペルニクス的転回に値する助言だったそうです。
最初はまったく意味がわからず頭をかかえましたが、パーカー体験にちなんでみるとようするに
「圧倒的なのはパーカーの音楽体験その瞬間であって、それにかこつけた権威は笑い飛ばされる覚悟をすべし」
ということなのではなかろうか、と私なりに解釈してみました。
自分が「教祖」になろうとするのでなく、彼の音楽の魅力を伝えようと
無心に仕えるのが肝心なのだろうなと思いました。
netjazzさん
互いの見解と伝え方ゆえに摩擦があることと思いますが
掲示板の向こう側の方達も「教祖」になろうとしての言動ではないとおもいますよ。
掲示板だけのやり取りは不毛なことも多いですよね。
netjazzさんはサックスという筆があるのですから、それで表現することが一番かと。
蛇足ながら、netjazzさんには願わくばぜひ、いち伝道者から表現者になってほしいなあと思っています。
意に染まないことなのかもしれませんが、もっとすごくなる予感がするのです。僭越な言い方ですが。
09/04/20(月)20:36:13 Sin
- No.1273: まぁまぁ。。。
- netjazzさん、
まあ、そんなにエキサイトしなくても。。。ですよ(^^;)
netjazzさんが、いかに真摯にパーカーの音楽を追求しているかは、YouTubeでの
業績や
ご自身のプレイでも分かりますから。
パーカーの音楽が、一義的には、(才能プラス、)技術研鑽の賜物と、無数のアイディアの
積み重ねである、ということにも賛成します。
人は語り得ないことには沈黙しなければならない、とも言いますし。
ただたしかに、「脱自」とか「忘我」体験を、ジャズの思想に取り入れ、その音楽の形式美を
無視すると、パーカーもコルトレーンもコールマンも同列に位置を占め、対等に語られ始める
といった傾向があるように思うのです。
他を圧倒して美しく、説得力がある、というのが、パーカー信者の心からの実感ですからね。
ただ<感性>とは、主観的なものであり、結局のところは他者の感性より自分の感性が上だ、
と主張するより他の手段を持たないので、あれこれと理論武装してしまうのですね。
サウンド経験に向かっては、肯定的に楽しんでいたいです。
09/04/19(日)11:21:24 netjazz
- No.1272: 読みました?
- 頭痛がしてこんがらがったのではないですか?
あのエロ小説だけでパーカーを理解するのは難しいですね。
そもそも“体験”という観点でスティット、
マクリーン、クリスなどとの違いを説明するのは、
無理とはいえないまでも遠回りです。
彼らの方がはるかにブローしてますから。
むしろ美の側面から切ったほうが近いと思うのですけど、
それをやるのは哲学者の仕事ですね。
今回はパーカーの良さを説明するといよりは、
“教祖”の実体を見破るためといった方がいいような(笑)。
でも、それで何かが見えるようになったら、
大きな収穫かもしれません。
“生々しさ”の次の段階へ行けますからね。
ブラームスを引用するバード、というような・・・。
09/04/12(日)13:43:03 Sin
- No.1271: そうです
- パーカーの音楽に触れ、打ちのめされることも、バタイユ的な見神体験といえるわけです。
"Now's the Time" というのは、まさに自らを今に投企するという意味でもありますね。
でも、このタイトルを誰がどう名付けたのかは分かりません。それを無理やりこじつけるのは、ということです。
ともあれ、『マダム・エドワルダ』はチュニジアの夜のような短篇です。
一度は読んでみるのが、いいでしょうね。
09/04/12(日)12:58:22 netjazz
- No.1270: Re:パーカーをどうしたら美味しく味わえるか・・・
- 「ひとつの“酒の肴”に固執するあぶない」
なるほどそのとおりです。
よういちさんはいつもうまいことをいうので驚きます。
今、ジャズ、あるいはパーカーの素晴らしさを
伝えようとしている功労者は誰か?
ウイントン、ブレッカー、リッチー・コール、矢野沙織、
その他メディアで語っているミュージシャンもそうなのではないですか。
むしろ、楽器の生の音で伝えないといけないと思うのです。
一方、自分の考えに合わない人を排除しようとしているのは誰なのか?
酒場の戯言ならいいのですが、不幸なことに
それがそのまま本になって書店にたくさん並んでいるのです。
もちろんそういった本のすべてを否定するわけではないのですが、
少なくとも“オレはわかってる”とか、ミュージシャンを
含む他者を排撃しているようなのはダメです。
他者を排撃するのがあまりよろしくなくても、これだけは
いってもいいと思いますよ。
> まずは聴きまくるのが大前提でしょう。
それでもいいのですが、少し知識や技術的なことも
勉強しないと非効率的だということもありますね。
外国語の歌や日本でも伝統芸能などがそうですが、
パーカーなど適切な解説本がないから難しいです。
それに何かがわかったと思っても、それは一つの通過点で
また次の課題が見えてきますから“まずは”というより
一生その連続ではないかと思います。
“悟り”などというのは宗教の話で、我々の世界に
あるのでしょうか?...おっと昼間から酔っぱらいに
なってますね(汗)。
09/04/12(日)10:44:15 よういち
- No.1269: パーカーをどうしたら美味しく味わえるか・・・
- netjazzさん、Sinさん
もちろん、特定の思想、哲学・芸術論を当てはめるだけでパーカーを理解できることはないと私も思います。
まずは聴きまくるのが大前提でしょう。
で、パーカーを最大限に美味しく味わいたいというのが、私の願望ですが、
それがたとえ“酒の肴”であっても、彼を聴くときの視点のひとつになればよいかと思うのです。
視点には他にもいろいろあってよいはずで、歴史や環境を知ることもあるでしょうし、
音楽理論もあるでしょうし、他ジャンルの音楽を聴くこともあるでしょう。
それぞれが数ある視点のうちのほんのひとつで、ひとつに固執するのはあぶないと思います。
パーカーを聴いて、聴いて、彼の全体像を味わおうとするのが大前提ですが、
ただそれをどの角度から眺めればよいのか、手持ちの視点が少ないと影に隠れる部分も多く
全体像を味わうことは難しいと思います。
いわば全体像は三次元の世界で、ある角度から眺められるのは二次元の世界ですから
ひとつの視点だけで全体像を受け止めるのには無理があります。
だから視点を増やしていくことで、全体像がぼんやりと立体的に浮かび上がってきて、
パーカーを味わう最大限に美味しいアングルを拾い上げていく、そんなことができればなあと思っています。
そのためのあがきのひとつと思っていただければ幸いです。
でも、こんなえらそうなこと言いながら、
ワタシ難しい本を読もうとすると目がまわったままで終わるんですよね~。
手持ちの視点も多くなく、まだまだ局所的な味わい方です。
09/04/11(土)23:48:45 netjazz
- No.1268: あっ、
- 前の書き込みが「バタイユを・・・チェック」
というふうに読めたらごめんなさい。
Sinさんに書いていただきましたが、私も“酒の肴”が
どう収拾するか楽しみだ、というだけです。
多分、訳が分からなくなって「気持はわかる」→
「あんたはえらい!」っていうことで終わると予想していますが(笑)。
それにあの議論の目的は、ご自身のパーカー体験=
ジャズがわかった、という結論にしなくてはならないので、
名前が挙がる思想も、その構造を説明するのに都合のよい
理論武装の道具として使っているだけです。
また、音楽の理解に哲学・芸術論を援用するということですが、
ミュージシャン本人が“この思想に影響を受けた”と
いっているならまだしも、どこかの評論家が勝手に
選別して適用できるような性質のものではないですね。
そのようなわけで、もしそんなことを言い出したら、
飲み屋のカウンターで「自分こそジャズだ!」と
主張しているようなものです。
面白いので成り行きを見守りましょう。
09/04/11(土)22:23:00 よういち
- No.1267: なるほど
- Sinさん、情報ありがとうございます。
なるほど。皆さん詳しくご存知ですね~。
ちょっと本を探してみます。
09/04/11(土)11:18:39 Sin
- No.1266: あっーと。。。
- バタイユとパーカーを結びつけるようなのは、ひまを持て余した神々の遊びのようなものだと思っています。
パーカーの音楽もその生涯も、あるいはジャズそのものについても、それが「人間の可能事の果てへの旅を経験と呼ぶ」(バタイユ)ということで、実存主義哲学との連想を、作家や詩人、マスコミ、風俗、飲み屋のカウンターの会話、そういった場所での格好の酒の肴となっているわけです。
それ自体は否定しません。
バタイユもいいです。ニーチェの影響を受け、無意識の領域を追究しました。実存主義、エロティスム、経済学に影響を残しました。バタイユには、娼婦の姿をした神に出会うという「見神体験」を描いた閃光のような短篇小説、『マダム・エドワルダ』など、特異で魅力的な作品があります。
もし、バタイユについてきっかけの本というなら、この「バタイユの経験論」についての小論として分かりやすくコンパクトな、吉本隆明の『書物の解体学』(中公文庫)がお勧めです。原著なら、上述の小説の文庫本や、『内的体験』などでしょうか。でも元々すべては連続しているといえばいえるのですから、パーカーの音楽とは、セパレートに考えましょう。
パーカーを耳で5000回も繰り返し聴き、その音楽についてサックスで実際に辿っていく味わいには、パーカー体験としては適わないですよ。
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