チャーリー・パーカーと、”パーカー派”奏者 パーカー派奏者の演奏は、チャーリー・パーカーの演奏とは別物だとおもうのです。ここでいうパーカー派奏者というのは、チャーリー・パーカーの演奏のしかたの影響を強く受けた奏者、一般的にはサックスの奏者を指します。 つまりパーカーはアドリブを語るための「ことば」を完成させた人といえるんじゃないでしょうか。実際にパーカーの吹いたアドリブフレーズの多くが「パーカーフレーズ」とよばれて、演奏の慣用句として流通しています。 で、繰り返しますが、パーカー派奏者の演奏は、チャーリー・パーカーの演奏とは別物だとおもうのです。パーカー派奏者の演奏には、「パーカー的なもの」をふんだんに含んではいますが、それはあくまでも「あいうえお」の「ことば」であって、ことばを使って語っている何か、「パーカー的なもの」に上積みされている別の何かを味わうのが、彼らの演奏を聴く醍醐味ではないでしょうか。 あるものはパーカーに近づこうとして果たせない齟齬が「味」に転化して、あるものは「パーカー的なもの」を使って、自分オリジナルなものを語り始めました。こうしてビバップ期のあとから豊潤なモダン・ジャズの世界が開けていったといえるのでは。 ですので、パーカー派奏者の演奏は、 「彼らの演奏」 - 「パーカー的なもの」 = で導き出されるものを味わってもらうことをお勧めします。 それがジャズメンの多彩で華やかな個性を味わうということです。 パーカー的な気持ちよさを味わいたければ、パーカー本人の演奏を聴くのが一番です。 ところでこういった話をしているとチャーリー・パーカー本人の演奏が「パーカー的なもの」いわば「ことば」そのものだけの存在に聞こえますね。ところがチャーリー・パーカーから「パーカー的なもの」をマイナスしてみても、澄み渡った中に満ちたエネルギーというか奈落というか、やっぱり何かこう、凄まじいものが残るんですね。 それは音のカオスの中から自前で「ことば」を完成させることのできた者独特の、凄みや過剰さなのかもしれませんが、個人的にはこれから精査しないといけないところとおもいます。皆さん、できればそこを意識してチャーリー・パーカーを聴いてもらうのもオツだとおもいますよ。 2010. 5.30 よういち
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