Bird Lives: チャーリー・パーカーについて考える

この文章は、素晴らしいパーカー・トリビュートサイト"Bird Lives"掲載の文章を、著者Llew Walkerさんのご好意により、私が和訳したものを掲載したものです。義務教育レベルの英語力で「エイヤァ」と訳したものですので、問題のある個所がいくつもあろうかと思います。間違いをご指摘いただけると幸いです。
また資料的な使い方をする場合は、くれぐれも原文を参照いただきますようお願いします。 (よういち)

原文はこちら:"Bird Lives: Thinking about Charlie Parker"


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医師フレデリック.J.スペンサー(※1)、によると、チャーリー・パーカーは1955年3月12日TVでドーシー・ブラザースのショーを見ているときに肺炎で死んだそうだ。

直接の死因は肺炎かもしれないが、実際にはその過剰な人生が彼の肉体をすり減らし蝕んだといえよう。

彼の評価は、生前は比較的軽視され、死んでから評価された。たくさんの資料により彼の生活の神秘性や過剰さが持ち上げられた。いく人かの者は彼の音楽を理解しようと努めた。しかしその芸術の即興性ゆえ、多分それはパーカーの精神分析を敢行し、どうやって彼がその才能に気づき表現するに至ったかを分析するような代物だったのではなかろうか。

D.H.ローレンス(※2)が創造の過程を表現しようとしてこう言った「私じゃない、私が造るんじゃない、風が運んできてくれるんだ」。まさしくこの言葉がパーカーの天才性の矛盾を表現しているのではないかと私には思える。計り知れない創造と、激しい自滅は、並びあって存在する。どれだけ肉体を磨耗し破壊されてしまうのか説明もできない特異現象によって、無限の創造性は生み出されるのである。

彼が死んでから50年経ち、彼の音楽的影響はぼやけて、いくぶん重要性が小さくなったように見える。年月は角を丸くし、ものごとを安全で整然とした歴史の小室にしまおうとする。実際パーカーの、ジャズそして音楽全体への影響に関しても、そのショック、反発、非難の度合いが静まっている。が、このような反動は「新しさに対するショック」からの変化を意味している。ベートーベン、マーラー、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、歴史的に見てこれらの音楽も同じ反動を経験している。

いまや、我々はパーカーを確立した音楽の伝統として受け入れている。しかし彼の影響によって、音楽は変わった。人々のジャズの演奏法や考え方を変えて、ジャズ以外のミュージシャンにも広がり、その概念が完全に吸収同化された音楽スタイルに姿を変えた。今日の音楽はチャーリー・パーカーがいなかったら今の姿にはなっていないだろう。彼が34歳で死んだことについては、単に命を無駄にして残念だったというだけではない。彼がもっと生き延びていてくれたら何が起こったのだろう、と私たちはただ想像するしかない。

誰かがこう言ったことがある。「ジャズには2つある。チャーリー・パーカー前のものとチャーリー・パーカー後のものだ。」



※1:Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. Frederick J. Spencer, MD. University of Mississippi Press. 2002

※2:DH Lawrence - Song of a Man Who Has Come Through



2005. 6.14 Llew Walker
日本語訳 よういち




This text is from "Bird Lives" translated into Japanese,
with permission granted by Llew Walker.

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