Bird Lives: ロス・ラッセル

この文章は、素晴らしいパーカー・トリビュートサイト"Bird Lives"掲載の文章を、著者Llew Walkerさんのご好意により、私が和訳したものを掲載したものです。義務教育レベルの英語力で「エイヤァ」と訳したものですので、問題のある個所がいくつもあろうかと思います。間違いをご指摘いただけると幸いです。
また資料的な使い方をする場合は、くれぐれも原文を参照いただきますようお願いします。 (よういち)

原文はこちら:"Bird Lives: Ross Russell"


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ダイヤル・レコードの一連のレコーディングは、チャーリー・パーカーの活動したレーベルの中でも、彼の最良のものだろう。このレコーディングは、最終的には1960年代に全ての収録を集大成したものが出たが、長年に渡って様々な形で流通していた。どのパーカーの伝記のなかでも、ロス・ラッセルは一定の地位を与えられている。なぜなら彼はパーカーを録音したレコード会社のオーナーであり、かつパーカーの伝記である「Bird Lives」と、パーカーの人生に感化されて生まれた小説「The Sound」という2冊の本を書いたからだ。

ラッセルはパーカーをうまく利用した者という印象を持たれているが、当時のパーカーはお金もつてもない、麻薬中毒者であった。パーカーが酷い状況のときに、ラッセルは手を差し伸べてあげたのだろう。ラッセルは巧みにダイヤルでの独占契約をパーカーと結んだのではあるが、契約よりも充分な配慮をパーカーは受けており、また実のところパーカーは他のレーベルとも契約を結んでしまっていたのだ。

生涯通じてラッセルは大のジャズファンであり、1930年代にはジャズの貴重なレコードのコレクターであった。基本的には趣味で生きていく方法を模索していた。第二次大戦後、彼は事業の機会を見つけて、従軍の給金を貯め出した。「AMFによるレコーディング禁止令は、かつてない売り手市場を生み出すだろう」と彼は確信したのだ。まもなく彼はテンポ・レコード店を開き、その後ダイヤル・レコード社の立ち上げに至ることになる。当初、彼はパーカーの78回転SPレコードを1箱、ためらいながら仕入れてみたのだが、驚くことにその日の午後に売切れてしまった。テンポ・レコード店は、東海岸の新しい音楽、ビ・バップのレコードを手に入れることのできる、当時のロスアンジェルスで唯一の店となった。

彼とパーカーとの関係は、パーカーとガレスピーがハリウッドに来てビリー・バーグスのクラブに滞在した頃に始まった。パーカーの私的なマネージャーをして、彼のレコーディングをしようと試みたが、その頃に残ったのは一握りの曲の録音のみだった。その録音をしていた頃のパーカーは心身が衰弱する直前であった。このときの有名なセッションがある。思いがけずヘロインが絶たれたため、その禁断状態をやりすごすために安いウィスキーを大量に飲んだのだ。録音時のパーカーはまともな演奏をことはおろか、かろうじて立っているような状態だった。このときの『ラバーマン』のトラックは痛々しいが、酷い状態になった男から、思いがけず表出した魂を捉えたドキュメントでもある。このセッションの後、語り草になった一連の出来事があり、パーカーは逮捕され、病院へ強制収容されることになった(この出来事は、それぞれに矛盾を含みながらも、何度もあちこちで記述されている。実際は何が起こったのか、その真実を我々が本当に知っているのかどうかは疑わしい)。

ラッセルはカマリロ療養所に入院しているパーカーを訪ね、どうやらパーカーが病院を抜けたいという話を聴いてあわてたようだ。
「ラッセルはカリフォルニアの精神衛生規則を調べ始めた。そして解決策を見つけた。特別司法委員会の承認があればその患者は、認められた州在住者の保護において、病院を出ることができるというのだ。ラッセルはその保護者になろうと思った。こうしてラッセルはパーカーを病院から出すことができ、そのことと引き換えにいくつかの契約の保証をしてもらうことに成功した。その内容はダイヤルとの完全独占契約だ。ラッセルは当時の状況を、如才なくうまいこと利用したのだ。パーカーはラッセルの手中に収まった。(※1)」

ラッセルがパーカーを病院から出すことができた時、パーカーが演奏するのを期待して、彼はそのままパーカーをギグに連れて行ったといううわさがある。彼のマネージャーとしては下心のある行動だったかもしれないが、病院に6ヶ月入院した直後とあっては、パーカー自身が真っ先に演奏に取りかかりたかったとしても無理もないだろう。

その後、パーカーの意に反して、ラッセルは『ラバーマン』のトラックを発売する。パーカーはこのときのラッセルを許さず、「『ラバーマン』のレコードは踏み潰されれば良いんだ」と言葉を残している。また、ラッセルと契約を結んだ人にはアルノルト・シェーンベルクもいて、彼の話した録音が残っている。そこにもまた、意に染まない演奏を発売したラッセルを責めている様子が窺える。シェーンベルクは言う「おまえはアーティストの望みや信念を無視するどころか、契約さえ守ろうとしない男だ」。ラッセルがチャーリー・パーカーから搾取していても、彼の搾取はアフリカ系アメリカンやジャズミュージシャンに限ったことではなかったという事実に繋がってくる発言である。

パーカーが病院を出てからも、西海岸と東海岸でダイヤルのレコーディングは続き、いくつものパーカー・クラシックの演奏が生まれた。これらのトラックは78回転SPのために録音されたが、ロング・プレイング・レコード(LP)が主流になると、異なるテイクを組み合わせたいろいろなバージョンを発売するようになった。しかもまるででたらめに。数々発売された「マスター」テイクは、実際には別テイクであることも多く、スポットライト社のトニー・ウィリアムズが1960年代に全ての目録を収集しはじめるまで、どれがマスターテイクでどれがそうではないのかラッセルだけしか知らなかった。ラッセルは、我々のあずかり知らない気まぐれさに突き動かされながら、音源を使用する権利を行使しているのだと思えてくる。

1950年にラッセルとパーカーとの契約は終わったが、彼は死ぬまでパーカーの音楽を擁護し続けていた。レコーディングへの関心も続き、1953年には数ヶ月間トリニダード島でカリプソと祝祭バンドの音楽のレコーディングをしていた。このような商業音楽への新たな関わりは、当時ニューヨークでラムコークが大流行したことから発想を得たものだ。その後の彼の活動はよくわからない。

1961年に彼は『The Sound』という著書を出版し、好評を得た。そしてその10年後に『Jazz Style in Kansas City and the South-West(カンザス・シティ・ジャズ)』を出版して、同じく好評を得た。

1973年に彼はパーカーの伝記を出版した。この『Bird Lives, the High Life and Hard Times of Charlie Parker(バードは生きている:チャーリー・パーカーの栄光と苦難)』は、不幸にも、パーカー関連で一番人気のある本になった。大学にまで置かれているくらいの標準的な書籍になってしまった。これはバードの人生を扇情的に述べている本だ。記述を支持する発言者の論証もここにはない。私は、常づねラッセルの著書は正確性に疑問があると言っている。この本が出版されたのは、ダイヤル・レコードの録音から実に25年近くも経過してのことなのだ。芸術的な型破りさを感じるのはそのためか。

1981年、ラッセルは「ロス・ラッセル・ペーパー」と呼ばれるコレクション(一生を通じて集められた膨大なレコード類、ちょっとした資料館なみのジャズ関係の蔵書、記事、写真類など)をテキサス大学にあるハリー・ランサム人文科学研究所に売却した。1990年にはダイヤル・レコード社の録音物の権利を、イギリスのスポットライト・レコード社に売却した。そして1994年のロンドン、チャン・パーカー・コレクションのオークションに参加した。

彼はクリント・イーストウッドに、自分の原稿を映画『Bird』に使ってもらおうと売り込んだが、結局イーストウッドはチャン・パーカーと彼女の著書『My Life in E-Flat』の方を選び、大いにその著書の影響を受けている。

彼は大学レベルの学校で、アフリカ系アメリカ音楽についての講義をして、様々な雑誌にジャズ関係の記事を寄稿した。ときたま自身の経営するゴルフクラブのあるマサチューセツで過ごすこともあり、何度か南アフリカ・イギリス・ドイツ・オーストリアに住むこともあった。

ラッセルは2000年1月31日に亡くなった。死亡告知記事の通り、彼は4度結婚し、一人の息子と双子を残した。

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「ロス・ラッセル、けちな野郎で、目障りだ。奴は吸血鬼のようにバードの生き血を吸っていただけだ。俺の演奏には欠陥があるみたいに言いやがる。くそっ。」
~マイルス・デイヴィス


※1 Black Music, White Business by Frank Kofsky. Pathfinder 1998






2005.10.21 Llew Walker
日本語訳 よういち




This text is from "Bird Lives" translated into Japanese,
with permission granted by Llew Walker.

Permission granted by Doris Parker under license
by CMG Worldwide Inc. USA


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