Bird Lives: 中毒 その3 この文章は、素晴らしいパーカー・トリビュートサイト"Bird Lives"掲載の文章を、著者Llew Walkerさんのご好意により、私が和訳したものを掲載したものです。義務教育レベルの英語力で「エイヤァ」と訳したものですので、問題のある個所がいくつもあろうかと思います。間違いをご指摘いただけると幸いです。 また資料的な使い方をする場合は、くれぐれも原文を参照いただきますようお願いします。 (よういち) 原文はこちら:"Bird Lives: Addiction" * チャーリーがはじめて経験した麻薬は、マリファナだと言ってしまっておそらく差し支えないだろう。当時はまだ合法であった。とはいえ、それを使っていることは、ほとんどの場所では不名誉なことであったし、非常に敬遠されることであった。1935年のセントルイススタータイムズ誌はマリファナに関する犯罪についての熱狂的なキャンペーンを実施し、大成功を収めた。10日間のうちに法案が通過し、ミズーリ州でマリファナは非合法になったのだ。この出来事はカンザスシティのペンダーギャスト政権にはほとんど影響しなかったかもしれない。おそらく麻薬の隠匿が増えただけのことだろうが、これは一つの前兆であった。1937年には麻薬犯罪が全国的に発生した。ミズーリ州は、この通り、いち早くそれに対応した州のひとつとなった。とはいえ法令成立の数年前にチャーリーは合法的にマリファナを入手することが出来た。このことはアディの証言から確認できる。 「街のある女性がマリファナをチャーリーに勧めたのです。・・・彼のポケットからそれを見つけました。”この汚らわしいものは何なの?”と聞いたら、チャーリーは微笑みながら言ったのです。”捨てないでよ、ママ。素敵なものなんだよ、それは。”」 またこの証言からアディが明らかに、マリファナに対する世評に同調しているわけでもないが、いくぶん分別があやふやなままに世評を強調しており、麻薬について無知であるように振る舞っているのがわかる。とはいえ、チャーリーの母への要求からみると、彼女はそのいかがわしいものをその時は捨ててしまったようだ。 アディが苦労している分だけ、ライズナーの著書の彼女の章には、麻薬とその影響に関する言及があちこちに見られる。 「ある若者が病院に連れてこられたことがあります。縛り付けて連れてこなければなりませんでした。厚い皮ひもで胸の周りを縛られていました。医者には何事が起こったのかわかりませんでしたが、私にはわかりました。ただそのことは口にしませんでした。3日間ほどたてば彼はよくなりますよ、とだけ伝えました。」 アディは1949年まで看護婦になってはいなかったが、この発言から、彼女が以前にも禁断症状の起こる様子を経験してきたであろうことは察しがつく。いつ頃から経験したのかはわからないが。 チャーリー・パーカーの支持者は、彼の人生での麻薬との関わりについては言葉少なくなる傾向があり、その偏向は家族や伝記作家にもおよんでいる(ロス・ラッセルを除いては!)崇拝者にとっては、英雄がジャンキーになり、禁断症状にうめき、さらなる薬をもとめ、麻薬注射を打つ、などなど、そんなことを考えたくは無いものだ。だが残念ながら、おそらくそれが実態だろう。それでもなお支持者はそのことを、彼の音楽や技術や創造と並べおいて、彼の背後に麻薬が付き纏っているときにそれが発揮されるのだと言いがちである。これはチャーリー・パーカーの、多難な天才である彼の不幸な境遇な下での、創造能力に関する謎の一部である。しかしながら、一定の状況下でのヘロイン依存では中毒者の機能は通常のままであり、ひどく乱れた状況に陥るのは禁断症状が出たときだけである。なので、ほとんどの時間チャーリーは正常であって、必要であれば当然のように演奏や創造行為ができたのではないだろうか。ギディンズはこう述べる 「多くの若いミュージシャンがすぐにヘロインを覚えてしまったものだ。ヘロインは毎晩、夜通し起き続けて気持ちがピリピリするのを楽にする鎮静剤だったのだ。」 おそらくたいていの場合は、薬物中毒と付き合っていることがチャーリーの演奏や作曲に影響を与えることはなかっただろう。大半の伝記作家はこの悪い習癖について焦点をあてがちだが、そのようなことを続けていたら彼らは仕事を減らしてしまうであろう。 チャーリーの麻薬使用やヘロイン中毒については多くの友人や知人の証言がある。そのいくつかは本当であったり、一部だけが本当であったり、またはうそであったり。とはいえ次のジェリー・マリガンの回想には、これら証言に共通するテーマが見出せる。 「彼は私に麻薬を使わせなかった。しかし長い間付き合ってきて、ある時彼は私の目の前で注射を打ち、そして言った。”これは私には必要なことなんだ。ひどいものさ。でもずっと続けてきたんだ。”私の英雄がそんなことをしているのを見て、恐ろしかった。彼はできるだけ不快さを与えるようにその様子を見せつけた。こんなことをしてはいけないと教授するかのように。」 ローランド・グリーンバーグにも似たような話がある。 「彼はしょっちゅう麻薬の話をしていた。酒は、気をつけて大量に飲まなければ大丈夫だ。私もいつも大いに飲んでいる。だけど麻薬は、絶対ダメだ。」 チャーリーはその生涯、麻薬を賞賛することは一度も無かった。ある有名なインタビューでこう言っている。 「マリファナや薬物注射を打ったり、酒を飲んで演奏が良くなるなんていうミュージシャンもいるが、そんなこと真っ赤なうそだ。私が飲みすぎたときは、良い演奏どころか指も回らなくなる。それに麻薬に浸っている間は、良い演奏が出来ていると私も思い込むことがあっただろうが、今になってその時期の演奏のレコードを聴き返すと、やはりその時のものは良くない。有能な子供達が、良い吹奏者になるために麻薬にやられようと考えるなんて、まったくばかげている。これは本当だよ、わかってくれ。君達の大切な人生、創作の可能性の時間がこうやって失われていくんだ。」 チャーリーの不摂生についての逸話は、ここで繰り返すまでもないだろう。繰り返しても、すでに多数の友人や知人が語りあっている議論に多少の真実が加わるまでだ。彼らの発言には、自身の経験にチャーリーの名声が反映された、派手な物言いも含まれている。チャーリーは演奏をしていない時は、ずっと苦闘していたに違いない。彼は自身の最期に向かうにつれて、彼自身の行く末と力に疑いを持ち始めたに違いない。それによってまた日々の練習もできなくなっていったのだろう。 これは余談だが、1950年代の薬物中毒の研究はまだ初期段階だった。どのような種類のジャズを演奏しているかでその者がどんな麻薬を使うかが決まる、と信じている分析家もいた。いわく、伝統的なジャズを演奏していればヘロイン中毒にはならない、なぜなら伝統的なジャズはスクエアな音楽だから。モダン・ジャズはヒップであって、ヒップの本質はスクエアでないということだ。 (未完・・・) 2005. 9.11 Llew Walker
日本語訳 よういち This text is from "Bird Lives" translated into Japanese,
with permission granted by Llew Walker. Permission granted by Doris Parker under license by CMG Worldwide Inc. USA |